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サイエンスカフェ~でした・・・!

1月30日(土)札幌の紀伊国屋書店のロビーにおいて、サイエンスカフェ「地球の鼓動を感じよう~ジオパーク・アポイ岳の魅力に迫る」と題しまして、北大の新井田先生をゲストに開催されました。
100人を大きく越える入場者でした。
様似からも坂下町長ほかが参加いたしました・・・!
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# by apoivc2 | 2010-02-02 14:26 | ビジ男

盗掘防止の打ち合わせでした・・・!

1月30日(土)に札幌エルプラザに於きまして、北海道高山植物盗掘防止NWの事務局打ち合わせがありました。
来年度から事務局をアポイ岳ファンクラブが担当することになり、これからの運営についてなどを協議しました。
とりあえず、代表者会議を4月に行うことしました。
ファンクラブも仕事が増え、ますます忙しくなりそうですね~・・・!
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# by apoivc2 | 2010-02-02 10:32 | ビジ男

謹賀新年

あけましておめでとうございます!
今年もよろしくお願い致します!!

2010年の元旦はいつものようにアポイ岳ご来光登山で始りました。
と言っても、今年は天気が悪く、私は10数年ぶりに山小屋でのご来光になりました。
登山者もここ数十年で最低の9名ほどでした。今年は麓の風が強いために皆あきらめたようです。
で、五合目で頂上にある神居山神社の臨時出張所を設け、みんなで今年一年の安全・再生を祈願いたしました。
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# by apoivc2 | 2010-01-02 16:00 | ビジ男

ありがとうございました。

大晦日です。プラスの気温ですが風があり、寒々しい日になりました。

あっという間の1年・・・今年も何にもできなかったな~・・・などといつもの愚痴しか出ません。

明日のご来光登山、ちょっと天気が心配です。先日の雨とプラスの気温で、アイスバーンになっているのではと思います。

とりあえず、元旦午前3時30分アポイ岳ビジター前出発ですのでお集まり下さい。

本年も大変お世話になりました。新年も今年以上にお世話になります・・・
ジオパークも来年から本格的に動き出しますから、そちらもよろしくお願いいたします。

良いお歳をお迎え下さい。(写真は今撮ってきたもので、アポイは雲の中でした)
ありがとうございました。_e0161805_14394680.jpg

# by apoivc2 | 2009-12-31 14:39 | ビジ男

お久しぶりです。

お久しぶりです。_e0161805_10425832.jpg

今朝、雪が降ってます。

ビジターセンターも9月の下旬に閉館し、山ろくもひっそりと静まり返っています。

このブログなかなか更新されないのは以前からのことですが、昨年の夏から書き込むのがビジ男だけになっています。

たしかその前は、「キョンキョン」がときどき登場してましたよね~・・・

キョンキョンこと京子さん、土日の担当で、来訪者を楽しませてくれるおばさんとして、皆から慕われておりました。

で、「そのうち戻ってくるわ~」と思って、彼女のことには触れないでいましたが、「もう、戻ってこれません」と彼女の息子さんから連絡をいただいておりました。

昨年の8月22日の夜、職場にいた私の携帯に彼女から連絡が入り「明日から、数日札幌に行って来るので、ビジターを他の人と変わってほしい」というものでした。
どうも、しゃべり方がおかしく、いつもの京子さんではないな~と思ってしまいました。

その後のことにつきましたは、息子さんが、「アポイマイマイ」の原稿にとお送りいただきましたので、先に掲載いたします。
ちなみに、息子さんの健さんは、エッセイを書かれる方で、毎年大きな賞を取っている方です。

 実家をたたむ
            作 近 藤 健

 サラブレッドの群れが、あちらこちらで草を食(は)んでいる。その中を一両編成のディーゼルカーが、のどかな響きを立てながら走ってゆく。苫小牧発様似行きのJR日高線は、山と海の間を縫いながら、ひたすら牧場を走る行程である。
 平成二十一年七月、私は特別な思いを胸に、ふるさと様似を訪ねた。この町は、北海道の太平洋岸に面した小さな漁村で、一帯は、日高昆布とサラブレッドの一大生産地である。
 昨年八月、実家でひとり暮らす七十三歳の母が脳梗塞に倒れた。二カ月半の入院の後、札幌の妹のもとで加療生活を送っていたが、この三月に大腿骨を骨折した。暖かくなったら実家に戻るつもりでいた母は、やむなくひとり暮らしを諦めた。ふるさとを離れて生活することは、母にとって初めてのことである。
 様似は、札幌からでも車で四時間半、東京からだと最短でも九時間かかる。いつまでも実家を空き家のままにしてはおけない。
「お前に全部まがせるから……すまないね」
 と母に言われていた私は、やっとの思いで買い手を見つけた。母は脳梗塞で倒れて以来、一度も実家には帰っていなかった。往復の道のりに、体力的な自信がなかったのだ。
「かあさん、何か持ってきて欲しいものはないか」
「……いやー、もうなーんにもいらない」
 預金通帳や印鑑、父の位牌など大切なものは事前に妹が引き取っていた。が、母は着の身着のままで札幌へ搬送されたので、洋服など身の回り品は、一切実家に残したままだった。なにもいらないはずはない。子供たちの手を煩わせたくない、と思っているのだ。私はアルバムなど、最低限のものだけを確保して、あとは近所に住む伯父夫婦に処分を頼む段取りでいた。
 始発電車で練馬を出て、昼過ぎに様似に到着した。様似で汽車を降りたのは、私を含め五人だけである。もう何年も前から無人駅となってしまったこの駅だが、進学、就職と、私の人生の節目を見守ってくれた駅であった。
 駅前に広がる空を眺めながら、大きく深呼吸をした。かすかな潮の香りが鼻腔をつく。帰って来た、という思いが胸に満ちた。同時に、切なさが胸を圧(お)した。
 実家で伯父夫婦と合流した。玄関を開けると、ひんやりとした空気が澱んでいた。位牌のない父の仏壇に手を合わせ、一服する間もなく、アルバム探しを始める。押入れを開けると、もらい物のタオルや石鹸、食器類が、ぎっしりと詰まっている。ポケットティッシュは、大きなダンボール箱から溢れ出ていた。昭和十年生まれの母は、何も捨てられない世代なのだ。その量は想像を超えていた。
 やっとの思いで押入れの奥から古いアルバムを見つけ出した。そのひとつ、真紅のベルベット地のアルバムをめくると、結婚式の写真が目に入った。若き日の父と母が、神妙な顔で神主のお祓いを受けている。結婚式は、母の実家である風呂屋の二階で行われた。私が生れた場所でもある。
 傍らにいた母の兄である伯父に、
「おじさん、ほら、こんなのが出てきたよ」
 と指し示すと、「おお……」といいながら、懐かしげに見入っている。この伯父も母が倒れた三カ月後に、脳梗塞で札幌に運ばれていた。
 アルバムには、私や妹の赤ん坊のころからの夥しい写真があった。それらの傍らで、若き日の父や母が笑っている。五十年近くも前の記憶が蘇り、ページをめくるたびにそのときの匂いや感触までが呼び覚まされる。ここにもうひとつの家族があったのだなと思った。すっかり時間が止まってしまった。
 だが、現実の時間は容赦なく過ぎてゆく。夕暮れに急き立てられ、荷物の整理もそこそこに、私は親類の家を訪ね歩いた。冷たい雨が降り出し、七月中旬というのにどこの家のストーブにも火が入っていた。
「ケンかい。いやー、よく来てくれたね」
 何年かぶりの突然の訪問にもかかわらず、みんな温かく迎え入れてくれた。翌日も可能な限りの人々を訪ね、その足で札幌へ向かった。ふるさとを懐かしむ時間は、残されていなかった。
「すまなかったね、大変だったでしょう」
 神妙な表情で母が頭を下げた。
「アルバムだけは、ちゃんと見つけてきたから。今度、美香がもってくるよ」
 仕事の都合で私と一緒に行けなかった妹が、翌週、それを回収してくることになっていた。私は二時間ほど母のもとで過ごし、その日の最終便で東京へ戻った。
 後日、妹が写真を持ち帰ると、母は古いアルバムを抱きかかえるようにして自室に消えた。扉の向こうから子供のような嗚咽が、しばらく続いていたという。その話を聞いたとき、「もう、なーんにもいらない」と言い放った母の潔い言葉が胸に迫り、涙が溢れた。
# by apoivc2 | 2009-11-21 10:43 | ビジ男